無事、山梨に帰ってきました
2015-01-17



*********** 1月15日(木) ***********
 朝8時半に自宅を車で出発し、京都へ向かいました。
 行きの心配があったので、中央道を通るのを止めて、新東名で太平洋側を行くことにしました。新棟目・東名・名神・北陸道・舞鶴若狭道を通って、約7時間かかって綾部に到着しました。

 雨が鳴沢付近から降り出し、新東名・東名では土砂降りになりました。長屋に近づくに従って小ぶりになり、その後は小雨程度の降りでした。

 山梨の方では、午前11時頃から雪になり、見る見るうちに積もったようです。午後から雪かきをしたと家内が云っていました。昨日は晴れて、雪が解けたようですが、今日(17日)帰って畑を見ると、雪はまだ多く残っていました。 禺画像]
禺画像]  綾部に到着し、ホテルにチェックインした後、義叔母に会いに行きました。
 午後4時を少し過ぎていて、入所している老人がホールに集まり、夕食を待っているところでした。義叔母もテーブルについていましたが、5時からの夕食に、まだ、時間があるので、面会室に入り、義叔母と少し話をしました。老健の隣にあるケアハウスの荷物を運び出すことなどを伝えておきましたが、聞いた先から忘れてしまっているようなので、どこまで理解できたか分かりません。
 5時少し前になったので、義叔母をホールのテーブルまで車椅子を押して連れて行き、私は担当者と話をしました。入院時の衣類を持って来ただけだったので、不足している物をメモしてもらいました。ほとんどが衣類でしたが、下着や上着など、すべて5枚ずつ準備しなければなりません。翌日に隣のケアハウスから荷物を持ち出す前に、そろえておくことにしました。
 ホテルに戻り、夕食を済ませた頃に、大学時代の先輩のM氏から携帯に電話がありました。
 自転車で日本一周をしている後輩のM君が三重の奥さんの実家まで来ているとのことでした。今月、24日前後に東京の自宅に帰ってくるので、皆で迎えてやりたいということでした。65歳の高齢者入りをしたM君が、昨年5月から9カ月かけて自転車で日本を回ったということは、大学時代に一緒に自転車で走った者からみると、驚異的なことです。先輩のM氏の提案に賛同し、実現に向けてできることをやってみたいと思っています。
 電話を切った後、三重にいるM君に電話を入れました。
 「天候にもよるが、1週間後くらいには自宅に帰る予定である。」
 「国道一号線を走り、沼津から御殿場に入り国道246号線を通る予定である。」
 ことなどを話してくれました。
 こちらからは、家に帰り着く2、3日前に連絡をくれるように頼んでおきました。
*********** 1月16日(金) ***********
 この日、朝8時に義叔母が入っていたケアハウスへ行きました。
 先ず、昨日、老健でメモしていただいた不足分の衣類を揃え、老健に運びました。8時を過ぎたあたりだったので、老健では、職員全員が玄関近くのホールにあるまりラジオ体操をしていました。義叔母の部屋に入ると、義叔母はベッドで寝ていたので、起こさずに、荷物を置いて出てきました。
 隣のケアハウスに戻り、持って来た衣装ケースや布団袋に衣類などを詰め込み、車に乗せて実家まで運びました。片道10分少々かかります。冷蔵庫や扇風機、ホーム炬燵などの電化製品もあり、3往復して、すべての実も津を実家に運び入れておきました。

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